怒りの内包


アメブロでも書き、ここでも書き…

方向性の過渡期なので、色んなところでブログを書くのはカッコ悪いとは思いつつ、好きなようにやってみます。

タイトル。

様々なSNSを見ていて、今、私の中にあるものとリンクしてよく目につくのがタイトルのこと。

自分の中にね、赦せない怒りがあることに気づかない人は。

周りの、何か一部分でも似たような状態に陥らせた人のことを、ひどく批判するようになります。

ジャッジメント

してしまうんですね。

自分は正義、正義は我にありを進んで行ってしまう。

これはいけない。

怖いことです。もう、自分の意思とは関係なしに、怒りたい、ジャッジメントしたいという欲望だけが先んじている。こうなるともう、自分で気がつくまで手をつけられません。

怒りをね、出すなとは思っていません。

自分は怒ってるんだ!と表すのは大切です。

ですが、なぜその怒りがあるのか?その根底に、自分のどんな気持ちがあるのか?そこをみないと前に進めないんですね。

大体、ですが。怒りの底には、悲しみがある人が多いはずです。期待してたのに…とか、信じてたのに…とか。

決して、他人がどうこう言ったところで自分の内面は癒されません。心を癒すには、なぜ自分はそんなに期待や信じてしまったのか。依存してしまっていたのかもしれない…など、怒りにたどり着くまでの自分の気持ちを棚卸しするしかありません。そして、残念な思いをさせた相手を何十年後でも良い、下手すれば死んでからでも良いから…許せるようになると、ようやくその怒りからの解放が始まります。

私も、まだまだ怒りを内包していることが多いです。傲慢さを内包していたり、見下すことを内包していたりします。

日々、気づいて行けるように頑張ります。

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